留年時代の友達4
大学を卒業してからの3年間くらいはOとAと連絡を取ることが無かったです。
誰が言い出したかは覚えていませんが、社会人4年目の冬に久しぶりに会う約束をしました。
3人で会う日が来て、いつもの居酒屋に集合しました。
Aの見た目は変わらず長身にスリムで男前。
僕とOは社会人になってから若干の脂肪を身にまとっていたように思います^-^;
いつもの居酒屋の後にOが恋している女の子がいるスナックに行ったなと今思い出しました。
お酒を飲んでいたので、久しい再会の会話は全く覚えていませんが、
留年時代の昔にタイムスリップしたような懐かしい気持ちだったと思います。
話を現在に戻します。
今年の4月の頭にAから連絡が来ました。
「久しぶりに3人で集まろう」と。
4月の終わりからGWにかけては仕事の予定がみっちり詰まっていたので、
みんなの予定を考慮して、会うのは5月の下旬となりました。
久しぶりに3人でばかみたいにスロットを楽しんでみよう。
でも、遊びで結局は打たずに本気で稼ぎにいくだろうなと時折思っていました。
再会の週末の二日前の平日、昼。
名前の表示されない電話番号から着信がありました。
Oが電話をかけてきたようでした。
(携帯をよく無くす癖があって、電話番号を紛失したままだったので)
「Aが交通事故にあった。」
「はっ?!大丈夫なん?」
「死んだ」
聞いた瞬間に、
現実を受け入れられませんし、意味も分かりませんでした。
仕事を早退して、電車に乗り込みました。
香典袋を買った際にもこれがAのためのものと実感するわけもなく。
電車の中でも、「まさかね」「そんなわけないやん」と意味の分からないような様子。
例えるなら、親戚の小さい子が葬儀の際におじいちゃん、おばあちゃんの死が分かっていないような感覚だと思います。
あ、きっと少しの間だけ遠い場所にいるんだよね。
実は生きてるよね。
そんな感覚で電車に乗っていました。
斎場に着くと受付にOがいました。
遺影を見た時にもまだ僕の中では実感はありません。
いやいや、二日後に会う予定やったんよね?嘘やろと。
御焼香が終わり、棺の中のAを見ました。
バイクの事故の割にきれいな顔をしていました。
若干、にこっと笑っているようにも見えました。
Aのお母さんが側に立たれていて
「明後日、久しぶりにまた昔のように馬鹿しようと思ってました。」
その瞬間に涙がぼろぼろと溢れてきて、
「馬鹿なことしてたのは全部知ってるよ。この子の人生は短かったけど、楽しい人生だったと思います。」
Aのお母さんも泣いていました。
棺に入ったAの顔を見た時に、
やっとAはもういないんだということに気づかされました。
とは言っても、こうやって書いている今でも実感はありません。
今まで経験した葬儀は祖父だけです。
もちろん祖父の死はショックでした。
それでも、今回のAの死の方が自分の中では大きな出来事でした。
それはきっと自分と同い年で、そして、亡くなる2日後に会う約束をしていたからです。
30歳を目前にして最近でこそ、
自分の人生というものは自分一人だけで考えられないものだと感じていました。
そんな矢先に命を落としたAのことを考えていると、
年輩の方が言う「まだ若い」という言葉には何も根拠は無いように思えました。
年老いた時に自分はどうなっているかと考えることもありますが、
そもそも自分が年老いるまで生きているかなんてものは分からないものだと思いました。
つづく