T点観測

20代後半、元スロ生活者。現在はサラリーマン兼業スロ生活者。

留年時代の友達2

OとAとで3人で始めたノリ打ち稼動。
最初の初月から思いのほかにうまくいきました。

 

ほぼお店の癖はつかむことができて、ほぼ毎日3人のうち誰かは良い台に座ることができました。
その当時、よく打っていたのが「蒼天の拳」という台。
低設定(出ない台)はとことん出ないし、高設定(出る台)でも負けることのある台です。
そのためかお店も若干甘めに使ってくれていたと思います。

 

ギャンブルで勝つために重要な考えで期待値という考えがあります。
上述した「蒼天の拳」、負けることはあっても、一日ぶん回せば約7万弱の日当を得ることができます。
※厳密に言うと設定というものは6段階あります。
 ここでは説明を簡単にするために設定6のペイアウト113%、9000ゲームプレイとしています。

 

以前は今と違ってイベントの規制が無く、ほぼ毎日イベントが行われている状況でした。
蒼天の拳」だけでなく、他の機種のイベントがあったため他の機種の良い台を打つこともありました。

 

僕達は一店舗の癖を掴んで、そこで良い台をつもるジグマと呼ばれるやり方で収支をあげていました。
自分自身の収支は3ヶ月で90万は行ってました。
この収支は一般のスロットをやらない人から見たら、遊んでそんなに稼げるなんてすごいって思うのが当たり前だと思います。
ただ、今ならそこまででもないと言い切ることができます。
上には上がいて、この生活をするのであれば最低50万は稼がないと割りに合わないと言ってた同業もいたからです。

 

ただ、僕達3人は留年、留年、アルバイト掛け持ちの社会人。
ひと月30万はどう考えても大金です。

 

まぁ、そのお金で毎日同じ居酒屋のカウンターに居座るというなんとも生意気な学生生活を送っていたわけですが・・・^-^;
時にはというか、夜の街に遊びに行くことも多々ありました。
なんとも親不孝な息子です・・・

 

ただ、自分で言うのもなんですが、
居酒屋では嫌われていなかったというよりも、
お店の方、お客さんからもたくさんかわいがってもらっていたように思います。

 

OとAはあまりお酒が強いわけではなかったために、
毎日一緒に居酒屋に行くことはありませんでした。

 

一ヶ月の大半は一人でカウンターで飲むことが多かったです。
自分自身、お酒を飲むのが好きなこともありましたが、
同時に寂しい気持ちから、カウンターに座って一人で飲みながら隣の人と話すということが多かったです。

 

当時、その居酒屋のお客さんの大半は50代以上の男女でした。
若干23歳だった僕が言うのはおこがましいことですが、
一人でカウンターで飲んでるお客さんは大半が
「何か聞いてほしいことがある」
「寂しいから話し相手がほしい」
そう思っている人です。

 

留年して、さらにはギャンブルで生計を立てて、もっと言えば、遊びまくってる自分にとっては、そんなお客さんの話を聞いてくれる自分の息子・孫といったスタンスに僕は立とうと思っていました。

 

きっと自分の中での正当化だったんだと思います。

 

3ヶ月で一店舗から一人当たり90万。3人合わせても200万は抜いていたと思います。
※僕自身は90万でしたが、彼らと一緒に同じ店で打たない日もあったので、少なく見積もっています。

 

ただ、そんなにおいしい状況は続きません。
ここからは憶測ですが、あまりにも僕達だけがいい台を掴みすぎたせいで、
良い台が用意されなくなったような感じがしました。

 

今なら分かるのですが、
ギャンブルで生活するのであれば、それを悟られないようにするのが一番です。
お店の中でわがもの顔で、今日も俺達が良い台を打てるというような顔をしてはだめです。


横着な態度を取るようなことは無くても、
20代前半の若者三人には何か根拠のない変な自信があったと思います。
同世代よりも俺達稼いでるって風な。

 

今の自分が昔の自分に忠告できるなら
・店の中で三人が仲間内で打ってると思われないようにしろ。連絡はメールで。
・淡々と打つな。もっと感情こめて、悔しそうにしたり、めちゃくちゃ喜べ。
 ※ギャンブルで食ってる人間ほど、感情が出ないです。ポーカーフェースというか。
  その日の勝ち負けよりも、勝つための過程が正しければ、結果はついてくるから焦らない。
  そんな考え方のもと、一喜一憂することが少なくなります。
  当時の僕達はある種冷めてました。
  そりゃ、目立つよな・・・。

という訳で、いつまでもおいしい状況は続くわけは無く、
新しく食えるお店を僕達は探していくのでありました。

 

つづく

留年時代の友達1

前々からブログを書こうとは思っていたもののなかなか手に付かず。
そんな時に大きな出来事がありました。

本来は興味を持ってもらうために簡単な自己紹介から始めるべきだと思うのですが、
そんな自己紹介よりも先に書きたいことがあるので、そちらから書いていきます。


もうすぐ30になる年ですが、
良い意味でも悪い意味でも、今の自分を作っている留年時代の話を書いていこうと思います。


僕の留年時代は決して誇れるものではなく、
毎日、パチンコ屋に朝から並ぶ、狙っていた台が良い台(出る台)であれば、
終日その台をずっと打ち続けるという生活をしていました。
※並びが朝8時から、開店は10時で閉店は23時。
パチスロ稼動が終わったら、明日のために簡単に閉店時のデータチェック。
終わったら、いつもと同じ居酒屋で一人酒。
留年している分際でよくそんな生活してるな、まじめにせーやと言われるような生活をしていました。

いつも通っていた店では癖はある程度パターンが決まっていて、
10台あれば、3つくらいに候補を絞ることは出来ていました。
そんなときに自分と狙いが被るやつに出会うわけです。
その子の事をOと呼びます。

見た目は同い年くらい。
考えることも同じようで、僕が絞った3番候補までに座るので、
イベント日ではどちらかがいい台を掴むといった具合でした。

ちなみにOのことを意識するようになってすぐに話すようになることはありませんでした。
お互い通路で鉢合わせになったときに、道を譲る程度に会釈をするといった仲。
ライバルと言う気持ちはあるけれども、
そこまでいけすかない奴ではないなとお互いに思ってるような関係だったと思います。


ある月に狙いが被ってほとんど良い台を掴めずに収支が上がらないことがありました。
バイトをせずにギャンブルって生活費を賄おうと考えていた僕にとっては一大事です。
一方でOも一時期ほど良い台を掴めているようではありませんでした。

そんなある日、
開店待ちをしている際にいつものようにOがいます。

「あのすみません。いつも狙いが大体同じですよね。
考えること一緒だと思うし、二人でノリ打ち※しませんか?」
僕はOに話しかけてみました。
※ノリ打ちっていうのは二人で勝ち負け折半にすることです。
 どちらかがある程度狙い台絞れてて、狙いが被るようなら
 そうする方が効率がいいです。
 (片方が良い台と分かったら、もう一方は悪い台のため。)

Oも同じことを思っていたようで、この話に乗ってくれました。
話を進めていくと、Oは同い年で大学は違うけれども、同じように留年。
僕と立場が一緒のなんともけしからん大学生でした笑

Oには幼馴染のAがいて、
Aは高校を卒業してからバイトを掛け持ちして生活している社会人でした。
そのAも含めてのノリ打ちパチスロ生活が始まります。

(つづく)